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世界 アーカイブ

東欧の環境問題は・・・

旧東ドイツは、東欧圏ではもっとも工業化が進んだ国でした。

年間3億トンを産出する世界最大の褐炭の産地で、エネルギーの大部分は褐炭に依存してきました。

この褐炭が「黒い三角地帯」に入るライプチヒ、ドレスデン、カール・マルクス・シュタット、ビターフェルトなど南部の工業地帯をひどい汚染源にしてしまいました。

工場は設備が老朽化して脱硫や集塵の装置をつけたものは2割もなく、装備していても経費がかかることから稼働していない場合も多いのです。

ベルリンから南に175キロ離れた旧東ドイツ最大の化学工業地帯のビターフェルトは、統一ドイツ政府によって、「世界でもっとも汚染された町」との烙印を押されました。

1年中煤煙に覆われているために、人工衛星から見えない「幻の町」といわれたことさえあります。

町に入ると煙突が林立し、どこもかしこも煤で黒くすすけています。

政府の統計でも、この町の硫黄酸化物や浮遊粉塵の濃度は全国平均の15倍もあるのです。

公害病の多発から市民の半数が健康異常を訴え、平均寿命は全国平均より女性で8歳、男性で5歳も低いです。

汚染の発生源は、設備の老朽化した工場。

なかには、1905年に工場が操業を開始して以来、ほろんど同じ設備で90年まで使われていたアルミの電解工場や、アウシュビッツの虐殺用毒ガスのチクロンBを製造していた化学工場、東側のカラーフィルムを一手に生産してきたアグファフィルムの工場などが含まれています。

とくに、森林や湖沼への影響も大きく、ビターフェルト市内の森林は75%が枯れてしまいました。

町を流れるザーレ川は、製鉄所からの排水で赤く濁り、あちこちに無処理のままで放置された有害廃液の貯水池には、無造作に「生命に危険」の警告板が立っています。

欧州共同体(EC)の飲料基準の数倍から十数倍もの重金属が含まれる飲料水の汚染も続いています。

各地での環境運動

こうした工業地帯に加えて、全国的に大気汚染を引き起こした元凶に、「走る公害」といわれてきた東ドイツ製の自動車がありました。

その代表的なトラバントやワルトブルクは、1957年に生産を開始して以来、東西統合で中止される91年までに約500万台が生産されました。

2サイクル車独特の高いエンジン音とともに、排気管からはモクモクと黒や白の煙を撒き散らします。

89年にベルリンの壁が崩れるとこの国民車がどっと西側に繰り出し、旧西ベルリンなどで大気汚染の計測機器の数値がたちまち跳ね上がりました。

東欧の開放によって、一斉に草の根運動が蜂起。

社会主義政権を倒した新政権は、いずれも環境保護を重要政策に掲げました。

ポーランドでは、89年の「連帯」と共産党が歴史的な円卓会議をもったときにも、連帯側は環境問題を政治問題と同等に扱うべきだと主張しました。

チェコスロバキアで環境保護の火の手を上げた「ブロントザウルス(雷竜)環境運動」、ハンガリーでは国家プロジェクトのドナウ川にかかるダム建設反対のために組織された自然保護団体「ドナウ・サークル」、ブルガリアで最初の反政府運動を起こした「エコ・グラスノスチ」など、多くの環境団体が反政府運動の起爆剤となりました。

さらに、堰を切ったように市民グループが立ち上がりました。

旧政権が公認していたのは、どの国でも1、2の自然保護団体に過ぎませんでした。

91年にはチェコスロバキアでは100以上、ハンガリーでは150、ポーランドでも200を超える市民グループが誕生しました。

各国の連帯も生まれ、「黒い三角地帯」では3国の環境保護グループに西側の支援団体が加わって、90年に「黒い三角地帯会議」が組織されました。

動き出した反公害運動

旧ソ連でも、環境の危機がソ連全土で国民を政治に目覚めさせるきっかけになりました。

モスクワ市民で、自分たちの吸っている空気の質を知っているのは、政府機関の担当者だけといわれていたのが、ペレストロイカで環境の情報が一挙にあふれ出しました。

90年前後には、各地でいっせいに反公害運動に火がつき、1年間で240もの公害工場が市民の攻撃で閉鎖されました。

その頃、海外からの環境支援も少しずつ動き始めました。

ときに北欧諸国は東欧からの汚染大気が酸性雨の原因になっているとして、積極的に援助に乗り出しました。

さらに、米国などもポーランドとハンガリーに対する環境援助を強化しています。

東欧諸国、とくにハンガリー、ポーランド、チェコスロバキアは、ぜひとも公害を減らさねばならない事情があるのです。

これらの国が切望している欧州共同体(EC)への加盟には、ECのきびしい環境基準を満たさねばならないからです。

といっても、環境対策に多くの予算を割くゆとりはなく、各国とも必死に自主財源づくりの工夫をしています。

ポーランド政府は、環境整備基金を提案、対外債務の10%を棒引きしてもらう代わりに、それを基金にして環境対策に当てようという構想を進めています。

「環境と債務のスワップ(交換)」です。

すでに米国はポーランドと合意し、31億ドルの債権の7割を棒引きにする代わりに、その1割を今後18年間にわたって環境プロジェクトに割り当てるように義務づけました。

このほか、フランスとノルウェーが合意しています。

放置していた環境問題のツケ

ポーランド政府は、工場から排出される汚染物質の量に応じて「課徴金」を取り立てて、環境対策費に当てています。

この収入は、国や地方自治体の環境基金に組み込まれて、各種環境改善のプロジェクトに融資される「環境銀行」の創設資金に使われます。

また、とくに汚染のひどい80の工場に対しては、5年以内に排出基準を達成できない場合には強制的に閉鎖することを通告しています。

シロンスク地方では、改善の見込みの薄い20の旧式工場がすでに閉鎖されました。

とくに自動車の排ガスによる大気汚染が深刻なハンガリーは、排ガス規制を強化して、石油環境税を導入しました。

排ガスのひどい旧式の市営バスを新型に買い替えるとともに、排ガス除去装置のついた自動車に輸入を税制面で優遇する措置をとり、旧東ドイツ製の二気筒のエンジンの自動車の購入が禁止されました。

チェコスロバキアでは、きびしい大気汚染規制を導入。

旧式の工場は、失業者の急増を回避するために基準達成を5年間猶予されましたが、新工場は最初からこの基準を義務づけられています。

こうした最悪の環境汚染の原因はどこにあったのでしょうか。

社会主義が本来求めていたのは、新しい人間による新しい社会の建設にあったはずです。

しかし、現実には政治的な腐敗と官僚主義のみがはびこり、社会はいたる所で機能がマヒして、誰もノルマだけが最大の関心事となり、工場の生産設備の更新や公害防止設備の設置に責任を持つものはほとんどいませんでした。

しかも、環境関係のデータは「国家機密」とされて、都合のよい数字しか外部に発表されなかったのです。

それを監視すべき市民も、言論の自由を奪われて歯止めをかける力がなかった、ということに尽きます。

東欧の経済学者の推定(90年)では、環境の悪化による国民総生産(GNP)への被害は、ポーランド10~20%、チェコスロバキアで5~7%、旧ソ連では健康被害による医療費だけで推定GNPの11%にのぼるとされます。

東欧の環境を西欧なみに引き上げるには、各国とも数百億ドルの投資が必要という試算もあります。

40数年間放置した環境のツケは、あまりにも大きいものでした。

湾岸戦争と環境問題 その2

一方、1月23日から24日にかけてペルシャ湾に流出した原油は、年間を通じて卓越する北西の風によって2月1日にカフジ沖、2月7日にサファニア沖へとサウジ沿岸を漂流し、2月下旬にはアオウミガメの産卵地で知られるアブ・アリ島に到着しました。

さらに、3月上旬にはジュベール沖に南下し、3月下旬にはジュゴンの生息地、カタール沖まで達したのです。


当初シーアイランド沖から流れ出たとされる原油の量は、24日の時点で300万バーレル、28日時点で600万、30日時点で1100万と、サウジ政府から発表者されました。

その後、アメリカ沿岸警備隊、国連環境計画が航空機などを使って海面調査した結果、流出量はおよそ300万バーレルであるとされました。

しかし、流出量、流出位置、開始時期は、いずれも今に至るまで不明な点が多いのです。

一度に流出した規模としては、過去最高であることには違いがありません。

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戦争は最大の環境破壊

地球規模の影響とは別に、大気汚染は炎上地域であるクウェートにおいて、人体に危険なほどの高濃度をもたらしました。

環境総合研究所(ERI)が4月に行った現地調査によれば、15日から24日のクウェート市のSO2の平均濃度値は、0.282PPm、ブルガン油井近くのアハマディでは、0.286PPmでした。

測定期間中の最高濃度は、南風が卓越した16日のクウェート市で0.627PPm、健康を考慮した日本の環境基準(0.04PPm)の15倍にもなり、現地住民の健康が危ぶまれました。

実際、ERIが行った現地病院へのヒヤリング調査でも医師は気管支ぜんそくなど呼吸器系の疾患が、炎上1ヶ月後から急増したと話しています。

また、6月上旬にERIが実施したアラブ首長国連邦での現地環境調査では、炎上地から1000キロメートル以上離れたドバイでSO2は基準値の倍近くを記録しています。

炎上油井は、大気汚染物質とは別に膨大な量のエアロゾル(ちり)や黒鉛も排出しました。

結果的にみて、ちりは成層圏には達しなかったようですが、クウェート、サウジ北部、イラン南西部ではちりや黒鉛が直接太陽光線を遮ったことから日中でも暗いだけでなく、気温もクウェート市で最高18℃も低下するなどパラソル効果による局地的な寒冷化が起こりました。

さらに、炎上油井から膨大な量の有害重金属が放出され、そのなかには発ガン性のある物質も含まれていることから、人間はもとよりひつじやラクダなど砂漠に住むほ乳類に対し深刻な影響を与えました。

夏以降も油田周辺では、油井から吹き出す原油によりプールがいくつもでき、原油が砂地に浸透するなどによって砂漠に残されたわずかな生物も死滅していったことが報告されています。

炎上油井は、当初、少なくとも1年半は燃え続くと予測されていました。

しかし、レッドアデアなどアメリカとカナダの鎮火チーム及び途中から参加した中国、東欧、フィリピンのチームが懸命に活動に努めた結果、1991年11月6日に鎮火しました。

以上、湾岸戦争は、「戦争こそが最大の環境破壊である」ことをはからずも世界中に立証したといってよいでしょう。

南極条約と極地汚染

不毛と言われてきた南極大陸でも次々に石油や鉱物が発見されて、資源開発も現実味を帯びてきました。

その一方で、南極上空のオゾン層にあいた「穴」が、地球環境への不安を駆り立て、地上でも基地や観光客による環境破壊が始まりました。

南極は科学調査の時代から、環境破壊の時代へと突入しました。

論議に火をつけたのは、「南極条約」が91年に30年の有効期間が終わるのを見越して、88年に採択された「南極鉱物資源条約」です。

厳しい監視のもとで乱開発に歯止めをかけながら資源開発を促すという内容で、科学調査に限られて
いた南極の資源開発にゴーサインを出しました。

しかし、20ヶ国が採択してあと一歩で発効というところで、世界的な環境保護の波が南極にも押し寄せてきました。

とくに、89年3月に起きたアラスカ沖の大型タンカー座礁事故は、保護論争にはずみをつけました。

この直後パリで開かれた定期会議では、フランスやオーストリアが中心になって、新たに南極の環境保全の国際合意をつくるべきだ」として、条約に真っ向から反対しました。

90年にチリで開催された南極条約協議国の特別会議では、ニュージーランド、スウェーデン、イタリアなどが新たに加わって、環境保護派は一大勢力となりました。

一方、日本、英国、蓮などは鉱物資源条約を支持しました。

同条約では資源開発活動が環境にもたらす影響の事前評価を義務づけているので、破壊の心配はないという主張です。

米国は微妙な立場でした。

議会が南極の自然保護を求めて、国際協定ができるまで南極での資源開発を禁じる法案可決しました。

やむなく、政府は開発の一時凍結案を提出しました。

南極条約と極地汚染 その2

この結果、南極の資源開発をめぐって、全面禁止派、推進派、蒔凍結派の3つに分かれました。

しかし、91年4月にマドリードで開かれた定期会合で、環境保護派の全面勝利に終わりました。

鉱物資源の開発を事実上50年以上禁止することや、「環境保護委員会」の設置などを盛り込んだ包括的環境保護の議定書案が合意されたのです。

日本も条件付きながらこの合意に支持を表明しました。

議定書案は、鉱物資源の開発を「禁止する」と明記、今後50年間に議定書を変更するには、「現在のすべての協議国(26ヶ国)の同意が必要」としました。

このため、今後半世紀はほぼ確実に開発をまぬがれ、それ以降も主要国が反対し続ける限り禁止が続く可能性が高くなりました。

南極をめぐる議論は、世界的な環境保護の流れを強く反映した内容となりました。

一方、南極条約の方も自動的に延長されて、30年間にわたる南極開発の議論に一応終止符が打たれました。

南極では、すでに深刻な環境破壊が始まっています。

18ヶ国で100を超える基地が南極各地にできています。

南極半島の先端に位置するアルゼンチンのエスペランサ基地は、家族で住み込んで多くの「南極べイビー」が生まれていることで有名です。

基地といっても、病院から学校、教会、銀行放送局まで、20数棟が海岸きわに並ぶ「町」です。

ここから出るゴミも膨大です。

可燃ゴミは焼却されますが、不燃ゴミはすべて海に捨てられます。

基地の裏手のゴミの山は、ペンギンの集団営巣地の中にあるのです。

海にもワインのビンやプフスチック袋が漂い、油が浮かんで色が変わっています。

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