世界の宇宙開発 5

ところがワシントンにおいては、他の圧力団体による資金の要求によっで、宇宙計画が脅やかされるような事態が、しばしば起っていました。


例えばアポロ計画が終了した時点では、多くのロビイストが米国の宇宙計画はもう用済みで、NASAは諸設備の保全を行うだけの機関でよいと主張していました。


米国の軍部が大きな問題を抱えていたことは事実です。


彼らは一方では、通常の軍備計画のために防衛費の増額を要求し、他方では国家の宇宙計画の方向性の決定においても、大きな発言力を欲していたのです。


そしてそのための唯一の方法は、資金を注ぎ込むことでした。


実際、軍部は常に大きな関心を抱くとともに、重要な役割を果たしてきました。


1957年の米国側の最初の宇宙への試みは、米海軍によって行われています(最初の年に米国によって試みられた14回の打上げのうち、8回は米海軍の指揮下にありました)。


現在の米国には独立した宇宙司令部が置かれ、またカリフォルニア州のバンデンバーグ空軍基地には、軍独自のスペースシャトル打上げ施設が建設されています。

世界の宇宙開発 4

1981年4月12日、米国は宇宙飛行の最も進んだ分野の1つにおけるリードを証明したのです。


スペースシャトル、コロンビア号の打上げと回収の成功です。


もちろん重要な点は、この宇宙船が再使用可能であるということであり、また衛星を打上げるだけでなく、回収することもできるということでした。


宇宙飛行士を、まるで簡単に離陸しまた着陸するジェットパイロットのように描くSF漫画の領域に、人類は史上初めて現実的にも近付いたのです。


恐らく、その道はまだ遠いとも言えました。


しかし1957年10月4日以降、人類がたどってきた長い道程を考慮するならば、最小限の地上からの支援と、簡略化された打上げ手順による宇宙飛行は、もはや夢物語ではなくなったのです。


加えて、それを現実のものにする資金を政府に提供させ、かつ継続させていくための圧力をかける幾つもの利益団体が存在していました。


一方、ロシアの宇宙計画においては、資金不足や政府の熱意を疑わせる徴候が観測されたことは、全くといっていいほど存在しません。


さまざまな理由で、それはロシアの軍事計画の重要な一部と見なされているからです。

世界の宇宙開発 3

男性支配の宇宙飛行の世界において、女性がそれを行った場合についての好奇心が生まれるのは、理解しうることでしょう。


サビツカヤの役割は、最初の女性飛行士となったテレシコワに比べると、専門的、科学的な内容でした。

にもかかわらず準備不足は否めず、彼女自身そして地上で支援する同僚を含めて、宇宙飛行が女性に及ぼすかもしれない問題について完全に理解してはいなかった、と考えられています。


彼女に課せられていた任務は、飛行がひとたび順調に移行し、成功裡に終了した後、48ロシアの宇宙計画担当官によって明確に定義されています。


テストパイロットとしての彼女の資格、さらには宇宙飛行士としての彼女の訓練の成果には疑問をはさむ余地は全くありませんでした。


しかし、ロシアは彼女が「ある種の生物学的実験」を行うことが重要であるという点を特に強調し、そのため彼女は別個の居室を与えられていたのです。河成鎮次郎氏によると、ロシアがこのようにサリュート宇宙ステーションシリーズに全力を注いでいる間、米国が宇宙マラソンではるかに遅れをとったと考える人々も現われてきました。

世界の宇宙開発 2

アポロ18号を最後に、米国は有人飛行計画を1981年まで中止し、スペースシャトル第1号の登場となります。


米国では当時、有人飛行の中止は政府が犯した大きな誤りであるという批判が寄せられました。


しかし、そのような飛行の継続を正当化する理由は何もなく、それよりもスペースシャトルの実用化に持てる力を注ぐべきであるという意見もまた強かったのです。


ロシアの側では、1974年から始まった有人飛行計画を間断なく継続していました。


この中には、有人飛行の宇宙滞在記録を次々と樹立した、2つの重要な宇宙ステーション、サリュート6号および7号が含まれています。


このサリュート宇宙ステーションは、宇宙滞在が6ヶ月以上にも及んだ際の飛行士の作業効率に懸念が残るものの、長期にわたって残存する悪影響を心配せずに、人間が宇宙でかなりの月日を過ごすことができることを示したのです。


ある飛行士は帰還後、任務に応じて幾らでも長い間、宇宙に留まっていることもできるとさえ語っています。


けれども何人かのロシアの飛行士は、その宇宙飛行中に異常な体験をしたことも事実でしょう。


例えばある飛行士は8~10センチメートルほども身長が伸びてしまいましたが、地球帰還後に平常の重力を受けると、数日して元の身長に戻っています。


1982年になると宇宙飛行を行った2番目の女性となったスベトラーナ・サビツカヤ飛行士が、サリュートに乗り組むことによって、生物学上のテストが一層進展することとなりました。

世界の宇宙開発

ロシアは、1基のロケットで8個の軍事衛星を1度に打上げるという計画を、その後も継続して行っています。


(コスモス617号~624号、コスモス641号~648号、コスモス677号~684号)。


米国もまた偵察衛星の打上げを続けており、1974年には、2月と6月に短期間軌道飛行を行った衛星を含む、幾多の衛星を打上げていました。


そのビッグバードシリーズの衛星は、7月20日トルコ軍がキプロスに侵入したときには、すでに軌道を回っていました。


この東部地中海での危機における衛星による偵察の密度は、前年10月の中近東を対象としたものに匹敵するほどのものでした。


この間、ロシアは有人飛行の分野でも米国に追いついています。


ソユーズシリーズが始められ、地球に近いサリュート宇宙ステーシヨンと連動していました。


米国では1973年11月16日のスカイラブ以降、有人飛行は行われていません。


その再開は1975年7月15日、経験豊かなトマス・スタッフォード飛行士(彼は10年前にジェミニシリーズで初めて宇宙飛行を体験しています)とスレイトン、ブランド両飛行士を乗せたアポロ18号まで待たねばなりません。

南極条約と極地汚染 その2

この結果、南極の資源開発をめぐって、全面禁止派、推進派、蒔凍結派の3つに分かれました。

しかし、91年4月にマドリードで開かれた定期会合で、環境保護派の全面勝利に終わりました。

鉱物資源の開発を事実上50年以上禁止することや、「環境保護委員会」の設置などを盛り込んだ包括的環境保護の議定書案が合意されたのです。

日本も条件付きながらこの合意に支持を表明しました。

議定書案は、鉱物資源の開発を「禁止する」と明記、今後50年間に議定書を変更するには、「現在のすべての協議国(26ヶ国)の同意が必要」としました。

このため、今後半世紀はほぼ確実に開発をまぬがれ、それ以降も主要国が反対し続ける限り禁止が続く可能性が高くなりました。

南極をめぐる議論は、世界的な環境保護の流れを強く反映した内容となりました。

一方、南極条約の方も自動的に延長されて、30年間にわたる南極開発の議論に一応終止符が打たれました。

南極では、すでに深刻な環境破壊が始まっています。

18ヶ国で100を超える基地が南極各地にできています。

南極半島の先端に位置するアルゼンチンのエスペランサ基地は、家族で住み込んで多くの「南極べイビー」が生まれていることで有名です。

基地といっても、病院から学校、教会、銀行放送局まで、20数棟が海岸きわに並ぶ「町」です。

ここから出るゴミも膨大です。

可燃ゴミは焼却されますが、不燃ゴミはすべて海に捨てられます。

基地の裏手のゴミの山は、ペンギンの集団営巣地の中にあるのです。

海にもワインのビンやプフスチック袋が漂い、油が浮かんで色が変わっています。

南極条約と極地汚染

不毛と言われてきた南極大陸でも次々に石油や鉱物が発見されて、資源開発も現実味を帯びてきました。

その一方で、南極上空のオゾン層にあいた「穴」が、地球環境への不安を駆り立て、地上でも基地や観光客による環境破壊が始まりました。

南極は科学調査の時代から、環境破壊の時代へと突入しました。

論議に火をつけたのは、「南極条約」が91年に30年の有効期間が終わるのを見越して、88年に採択された「南極鉱物資源条約」です。

厳しい監視のもとで乱開発に歯止めをかけながら資源開発を促すという内容で、科学調査に限られて
いた南極の資源開発にゴーサインを出しました。

しかし、20ヶ国が採択してあと一歩で発効というところで、世界的な環境保護の波が南極にも押し寄せてきました。

とくに、89年3月に起きたアラスカ沖の大型タンカー座礁事故は、保護論争にはずみをつけました。

この直後パリで開かれた定期会議では、フランスやオーストリアが中心になって、新たに南極の環境保全の国際合意をつくるべきだ」として、条約に真っ向から反対しました。

90年にチリで開催された南極条約協議国の特別会議では、ニュージーランド、スウェーデン、イタリアなどが新たに加わって、環境保護派は一大勢力となりました。

一方、日本、英国、蓮などは鉱物資源条約を支持しました。

同条約では資源開発活動が環境にもたらす影響の事前評価を義務づけているので、破壊の心配はないという主張です。

米国は微妙な立場でした。

議会が南極の自然保護を求めて、国際協定ができるまで南極での資源開発を禁じる法案可決しました。

やむなく、政府は開発の一時凍結案を提出しました。

戦争は最大の環境破壊

地球規模の影響とは別に、大気汚染は炎上地域であるクウェートにおいて、人体に危険なほどの高濃度をもたらしました。

環境総合研究所(ERI)が4月に行った現地調査によれば、15日から24日のクウェート市のSO2の平均濃度値は、0.282PPm、ブルガン油井近くのアハマディでは、0.286PPmでした。

測定期間中の最高濃度は、南風が卓越した16日のクウェート市で0.627PPm、健康を考慮した日本の環境基準(0.04PPm)の15倍にもなり、現地住民の健康が危ぶまれました。

実際、ERIが行った現地病院へのヒヤリング調査でも医師は気管支ぜんそくなど呼吸器系の疾患が、炎上1ヶ月後から急増したと話しています。

また、6月上旬にERIが実施したアラブ首長国連邦での現地環境調査では、炎上地から1000キロメートル以上離れたドバイでSO2は基準値の倍近くを記録しています。

炎上油井は、大気汚染物質とは別に膨大な量のエアロゾル(ちり)や黒鉛も排出しました。

結果的にみて、ちりは成層圏には達しなかったようですが、クウェート、サウジ北部、イラン南西部ではちりや黒鉛が直接太陽光線を遮ったことから日中でも暗いだけでなく、気温もクウェート市で最高18℃も低下するなどパラソル効果による局地的な寒冷化が起こりました。

さらに、炎上油井から膨大な量の有害重金属が放出され、そのなかには発ガン性のある物質も含まれていることから、人間はもとよりひつじやラクダなど砂漠に住むほ乳類に対し深刻な影響を与えました。

夏以降も油田周辺では、油井から吹き出す原油によりプールがいくつもでき、原油が砂地に浸透するなどによって砂漠に残されたわずかな生物も死滅していったことが報告されています。

炎上油井は、当初、少なくとも1年半は燃え続くと予測されていました。

しかし、レッドアデアなどアメリカとカナダの鎮火チーム及び途中から参加した中国、東欧、フィリピンのチームが懸命に活動に努めた結果、1991年11月6日に鎮火しました。

以上、湾岸戦争は、「戦争こそが最大の環境破壊である」ことをはからずも世界中に立証したといってよいでしょう。

地球規模の影響

ペルシャ湾は世界でも最大級の閉鎖性水域であり、平均水深も30から50メートルと浅いです。

このことから、沿岸域の陸海生態系への影響は著しいものとなりました。

その結果、プランクトンなどの微生物・魚貝類、エビなどの海洋生物、海産物、海鳥などの鳥類に大きな打撃を与えることになりました。

たとえば鳥類は水面と間違え飛来し、重油の粘性で飛び立てなくなります。

さらに揮発性物質の毒性によって中毒するなどの被害を受けました。

実際、世界野生生物基金(WWF)、日本の山科鳥類研究所などが戦後に実施した現地調査からも、膨大な数の鳥類が死んだり傷ついたことが報告されています。

とくに原油にまみれた海鳥の姿が、英国ITNテレビ局から衛生を通じて世界中に送られ、ひとびとに大きな衝撃を与えたことは生々しいものです。

他方、2月24日の地上戦突入前後からはじまったクウェート領内の油井炎上は、3月上旬で600ケ所を超えました。

最終的な炎上規模はクウェート国営石油公社が鎮火時点で発表した数字、すなわち全部で735ヶ所のうち約650が炎上した、という数が最も信頼できます。

それらの炎上油井から排出される汚染の量を日本全体の排出量と比較すると、1日単位で硫黄酸化物(SO2)は約29倍、窒素酸化物(NOx)は約1.5倍となります。

また、温室効果物質である二酸化炭素(CO2)は、炭素換算で1日約3万トン排出されました。

これは日本全体の1日排出量に匹敵します。

なかでも、SO2の排出量は膨大であり、ジェット気流に乗ったちりは、西アジア、インド、東南アジアさらにハワイ上空まで達しました。

湾岸戦争と環境問題 その2

一方、1月23日から24日にかけてペルシャ湾に流出した原油は、年間を通じて卓越する北西の風によって2月1日にカフジ沖、2月7日にサファニア沖へとサウジ沿岸を漂流し、2月下旬にはアオウミガメの産卵地で知られるアブ・アリ島に到着しました。

さらに、3月上旬にはジュベール沖に南下し、3月下旬にはジュゴンの生息地、カタール沖まで達したのです。


当初シーアイランド沖から流れ出たとされる原油の量は、24日の時点で300万バーレル、28日時点で600万、30日時点で1100万と、サウジ政府から発表者されました。

その後、アメリカ沿岸警備隊、国連環境計画が航空機などを使って海面調査した結果、流出量はおよそ300万バーレルであるとされました。

しかし、流出量、流出位置、開始時期は、いずれも今に至るまで不明な点が多いのです。

一度に流出した規模としては、過去最高であることには違いがありません。

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